ndtm50の日記

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1990年代後半の金融システム不安を振り返る

先日書いたCPオペの話の続きです。

今回は、CPオペを積極活用せざるをえなくなった背景について説明したいと思います。

ポイントとしては2点あります。

1つ目は1990年代初めのバブル崩壊後、日本の金融機関が多額の不良債権を抱えて信用に問題があるとみなされていたこと。2つ目は前年の1997年11月三洋証券が破綻した際に、それまでリスクがないとされていたコール市場(金融機関どうしの超短期の貸付)にデフォルトがおきたことです。


1997年秋に三洋証券、北海道拓殖銀行山一證券が次々に破綻すると、多くの機関投資家、企業、一般預金者が次の破綻銀行を予想し、財務内容が良いとされる銀行へ預金を移すようになりました。

銀行は預金として集めた資金を貸し出しや証券投資で運用していますが、銀行によって資金が余っている銀行と不足している銀行があり、その過不足を調整していたのがコール市場です。しかし、1997年11月にコール市場でデフォルトが起きてから、信用力が劣るとされた金融機関は預金の流出が続いた上にコール市場でも資金を調達するのが困難になりました。


そこで、コール市場の機能を保管するため、日本銀行が事実上の仲介機能を果たすようになります。

具体的には、日銀は資金吸収オペ(売りオペ)と資金供給オペ(買いオペ)を両建てで膨らませ、資金が余っている金融機関から売りオペで資金を吸い上げ、資金が不足している銀行へは買いオペで資金供給するようになりました。

日本銀行は金融機関へ資金を供給する際に、日本銀行の信用を毀損しないように担保をとらなければならないとされていることから、資金を供給する場合は(担保としての)債券を一時的に買い上げる(買い上げ代金を支払う)形で資金供給を行います。逆に、資金を吸収する場合は、債券を一時的に売却して、債券の購入代金の支払いを受ける形で資金を吸収します。

日銀による資金吸収を「売りオペ」、資金供給を「買いオペ」というのはそのためです


コール市場の機能が低下した分、日本銀行が事実上の仲介機能を果たしていましたが、預金の流出が進み、不足額が膨らんでくると、日本銀行から資金供給を受けるための担保が足りなくなってきました。担保不足でいよいよ銀行(およびその銀行をメインバンクとする商社やノンバンクなど)が大量に破綻するのではないかとされたのが1998年秋のことです。ここで、日本の金融システム不安はピークを迎えることになります。

そのときに、金融システム不安を解消するために目をつけられたのがCPになります。

次回はCPの商品性とその活用方法について書きたいと思います。