ndtm50の日記

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金の価値と貨幣改鋳から見えてくること

先日、綱吉時代の勘定奉行、萩原重秀が『貨幣は国家が造る。がれきでもかまわない』と言ったのは正しいかったと書きましたが、その際にひとつ書き忘れたことがありました。

それは、金自体が単なる石の一種で、化学的に考えればがれきと大差ないということです。

ただ、金は化学組成上安定性が高く化学変化など変質しにくいこと、地球上に存在している量が少なく希少価値が高いこと、純度を高めるときれいに輝くことから、万人が価値の高いものと認めていることが異なります。

これは、政府(または政府に認められた中央銀行)が印刷した紙切れ(紙幣)を万人が価値のあるものと認識していることと全く同じです。(金は伝導性の高さなどから電子回路等にも使われますが、金の値段を決めているのは工業原料としての価値ではなく、保有資産としての価値です)

しかし、つきつめれば石(金)は石です。


先日紹介した日本経済新聞の記事で、江戸時代の貨幣改鋳を否定的に書かれていました。

しかし、経済的に考えれば、貨幣を改鋳するのと、新しく金鉱山が発見されて大量の金貨が作られるのとは同じです。改鋳は悪で、新しい金鉱山の開発は善との理屈はどこにもありません。

経済的には、両者(改鋳、金鉱山の発見)ともマネーサプライの供給と国家財政支出の増加にあたり、景気がよいときに行われればインフレ要因に、景気が悪いときであれば経済刺激要因になります。

なお、戦国時代~江戸初期に日本各地で金鉱山が発見・開発され(佐渡金座の発見は1601年)、そのほとんどが1600年代半ば頃にピークを超えています。

従って、江戸後期の改鋳がなければマネーサプライが足りず、経済の停滞を招いていたでしょう。むしろ、改鋳が金鉱山の枯渇の悪影響を緩和していた可能性が高いようです。

このように考えていくと、資本主義の体制の中で常識とされている考えには、おかしなものがたくさんあることが理解されると思います。