ndtm50の日記

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日経新聞の連載『日本国債』について

先週、日本経済新聞で『日本国債』という連載をやっており8月14日(日)は「敗戦後、失われた預金」「財政・金融 一体化に警鐘」という題でした。

内容は以下のとおりです。

1)(第二次世界大戦の)敗戦で国家財政が破綻した日本は、インフレで債務の実質価値を目減りさせて戦時国債を返済した。

2)現在、発行残高1000兆円の国債は国内で消化しているから財政破綻には至らないとの言説があるが、戦時国債も国内で消化されていたが紙くず同然になってしまった。

3)今の日本のGDPに対する債務残高は249%でギリシアの178%を大きく上回り、第二次世界大戦中の44年(同204%)より高い。

4)歴史をさかのぼると徳川幕府が財政の立て直しに使ったのが貨幣改鋳の差益だが、貨幣改鋳は放漫財政時や飢饉で財政が逼迫した幕末に集中し、改鋳による通貨の劣化と背後にある財政難を見抜かれてインフレを招いた。

5)過ちはいつも「今回は違う」の言葉の後に繰り返す。財政と金融の一体化が進むアベノミクスは違うのだろうか?(今回もインフレで国民の財産が紙くずになるはずだ!)

つまり、現在の状況と敗戦時や江戸の貨幣改鋳との類似性を強調し、財政と金融を一体で運営する現状が「誤り」だと強く示唆する内容でした。

きちっとした論理展開を敢えて避け、過去の極端な例(敗戦時)との類似性を強調し人の恐怖心を煽って信じ込ませるという手法はプロパガンダそのものですが、日本経済新聞という一般的に権威あるとされているマスコミがそのような内容を載せることの影響は強いと思いますので、少しでも悪影響が出ないように微力ながら誤りを指摘していきたいと思います。

まずは、軽いところから問題を指摘し、この文章がプロパガンダ(特定の主義・思想についての政治的な宣伝)であることを認識してもらいたいと思います。

記事の中で、「綱吉時代の勘定奉行、萩原重秀は『貨幣は国家が造る。がれきでもかまわない』との名言を残した。」との文章が出てきます。

これは、一般のイメージで貨幣とがれきが正反対であることを利用し、さらに『名言』との皮肉的な表現を使うことによって江戸期の改鋳が誤りどころか異常な政策であることを印象付けようとしているものといえます。

しかし、萩原重秀の言葉は、まったく正しいです。何しろ、我々はがれきどころか『紙切れ』を何の疑問もなしに貨幣代わりに使用しているのですから。

がれきでも、すべての人が国家がオーソライズしたものと認識でき、容易に偽造できないようになっていれば、紙幣と同様に貨幣代わりに使われるはずです。(紙幣と異なり持ち運びに不便な点は不利ですが)


また、この記事であげられている例はすべて、インフレ期(供給不足時)に通貨を大量に供給したものであり、急激なインフレが発生するのは経済学の教科書どおりです。そうしたことには言及せずに、国債の大量発行だけが原因のように話を展開しているのは、かなり姑息なやり方だと思います。

次回、もう少し詳しく書いていきたいと思います。