日本の失われた20年について改めて考えてみる
前回6月15日のブログで、日本はインフレ抑制の政策で高度成長期にうまくいった成功体験が、失われた20年の政策運営に影響していると説明しました。
なぜその成功パターンが通用しなくなったのか、というのが今回のテーマです。
理由として主に以下の二つがあると考えています。
(1)日本経済の規模が大きくなり、インフレ気味の政策をとる国々の需要でカバーできなくなった
まず(1)ですが、インフレ体質(供給不足)の国に目いっぱい生産して輸出すればよかったものが、規模が大きくなった結果、自らの需要・供給が世界経済の需給バランスに影響を与えるようになりました。
そうすると、世界的なディスインフレが進み、生産抑制が必要になります。これは、投資で成長していた日本にとっては、投資の抑制という形でより大きな影響を受けることになります。
規模の拡大、国内投資の抑制傾向は、経常収支の黒字化を生みます。これが円高を招き、ますます需要不足の傾向が強まっていきました。
次に1990年代半ばあたりから、輸出ドライブで成長する新興国の影響を受けるようになります。これらの国は、日本の高度成長を研究して、同じ商品、同じやり方を安いコストで強力に推し進めていった結果、模倣が簡単な産業からシェアを奪われていきました。
これらの結果、従来と同じ政策運営では国内のデフレ体質が深まり、
といった負のスパイラルが止まらなくなります。
もっとも、通常の経済では、投資抑制がある程度進むと、どこかのタイミングでそれによる生産能力の低下が需要(生産)の低下を下回り、インフレ体質へ転換していきますが、上記のスパイラルが20年間も続いたのは、それまでの日本の投資蓄積が充実していたことの裏返しとも言えると思います。
次回は、これまでを踏まえた求められる政策について考えてみたいと思います。