ndtm50の日記

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潜在成長率はインチキ(2)

前回「潜在成長率」について書いてから少し時間が経ってしまったので、忘れないうちにまとめておこうと思います。
 
「潜在成長率」とは、がんばって高い経済成長を実現しようと努力したときに、長期的に実現可能な経済成長率のことです。
 
人間の生活(活動)は生産した食料や物を利用(消費)して成り立つと考えて、その消費量(=生産量)で経済活動の量を測ります。これが所謂GDPです。
 
そして、一般的にはたくさんの物を消費することが豊かで幸せであることから、消費量は生産能力の限界で制約を受けていると考えて、生産能力の伸び率を潜在成長率と考えます。(これは、たくさん消費する豊かな生活を送るため、どの国でも生産能力いっぱいまで経済活動が行われることを前提とすることを意味しています。)
 
 
 さて、潜在成長率は、現在の生産能力と1年後に達成可能な生産能力を比較して伸び率で表しますので3つの問題があげられます。
 
1) 消費量が本当に生産能力に制約を受けているか(生産能力いっぱいまで生産活動が行われているか)
2) 現在の生産能力をどうやって測るか
3) 1年後に可能な生産能力はどうやって求めるか

 
1990年代以降の日本では、生産能力いっぱいに生産活動が行われたことはなく、消費量が生産の制約を受けていたことはありません。従って1番目の問題は明らかに現実に反しています。
 
 次に、現在の生産能力を測ることはできません。
 
生産活動(仕事)は、機械を使って人が行います。そこで、生産量を資本量(機械の量)と労働投入量(働く人の人数×時間)を変数とする数式(生産関数)であらわすことで生産能力を推計する方法がアメリカで考案されました。
 
 しかし、この生産関数の問題点は、仕事の量は人数×時間では測れないことです。たとえば、2人で運営している店があるとします。景気が悪いときに1時間に2人しかお客さんが来なかった店に景気が良くなって1時間に10人きたとします。経済学の世界では労働投入量は2人・時で同じですが、生産量は5倍の開きがあります。
 
 このような問題に対応するため、生産関数では、資本量・労働投入量に加えて生産性というのを変数にしています。しかし、前の例でも分かるとおり、生産性は資本量や労働投入量といった実際に観測できる量ではありません。また、その国の経済の構造で決まる数値ではなく、経済状況等によって変動するという致命的な欠陥があります。
 
 なお、生産関数はアメリカで生み出された考え方ですが、アメリカでは歴史的に生産能力=実際の生産量=消費量となる時期が長く、上のような店員の例はあまり考慮しなくても良くなっています(景気が良い時期が多いので、いつも同じくらいたくさんのお客さんがきている)。また、景気が悪いときにはすぐにレイオフするので生産量の減少は労働投入量の減少に連動します。(上の店の例であれば、景気が悪い時には店員を1人にする。)
 
 しかし、近年の日本は生産能力いっぱいに生産した時期がほとんどなく、雇用カットも難しいことから、アメリカで通用した生産量を資本量と労働投入量と生産性で現す生産関数は、そのまま日本では利用できません。
 
 
 現在の生産能力ですら分からないのに、1年後の生産能力を求めることはもっと難しいことです。労働投入量は(移民が大幅に増加することはないとすれば)人口統計からある程度は予想がつきます。しかし、資本量はどれだけ設備投資するかによります。
 
 最近の潜在成長率が低下しているとの推計の要因の一部に低い設備投資が前提となっていることがあります。20年以上にわたる経済の停滞で設備投資は大きく冷え込み、能力増強のための投資はほとんど行われてきていません。そうなると、資本が増えないので生産能力が増加しないという計算結果になります。
 
 しかし、日本には活用されていない巨額の金融資産があり、需要さえ見込めればいくらでも設備投資が可能です。設備投資が増加すれば、生産能力の伸びは高まります。
 
 設備投資が増加しない理由は、①長期の経済停滞で先行きの需要が見込めないというコンセンサスが出来上がっていること、②経済停滞の中で生き残ってきた経営者はほとんどが投資に慎重な性格を持っていることにつきます。
 
 通常、潜在成長率を言うときには、構造的な面についての話のはずですが、設備投資が増加しない理由は構造的というよりは経済状況に依存する側面が大きいように思います。経営者のマインドが既に構造問題にまで悪化したという考えもできますが、物理的な問題とは異なり変えることは比較的容易です。
 
このように、潜在成長率は、海外の経済学を鵜呑みにしたエコノミストが海外で考案された方法をそのまま活用して誤った使い方をしているといえるのです。
 
 
ところが、日本の景気が悪いのは潜在成長率が低下したからだと考える構造改革重視の人は、これらを全て無視した上で、「生産能力いっぱい活用するためには生産能力の伸びを高めなければならない」と言っているのと同じことです。言い換えると、「生産の能力が余っているのは生産能力を高めることができないからだ!」ということですから、言っていることが支離滅裂です。
 
なお、先日、日本経済不振の真の要因は教育の問題と書きましたが、日本の与えられたものを覚える教育が海外の経済学を鵜呑みにするエコノミストを大量発生させたことが経済不振の最大の要因だと思います。
 
そして、日本の教育制度の中で勝ち残ってきた秀才集団である日本銀行にそのようなエコノミストが大量に所属しているのは、論理的にもっともな事象であるというのが20年以上BOJウォッチをしてきた私の結論の一つです。